ジーカラットは伝統から流行まで群馬を中心としたウェブマガジンです。

Story

富所哲平さん×gCarat スペシャルコラボ!!

「群馬住みます芸人」としての立ち位置を軸にもちつつ、様々な活動を精力的にチャレンジしている富所哲平さん。地方に根をおろし、「笑い」をフィルターにすることで確立した、富所さんならではの『笑いの哲学』に迫ります。

群馬県出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。東京NSC12期生。ツッコミ担当。
全国47都道府県に芸人を派遣して「笑い」で地域を盛り上げる あなたのまちに住みますプロジェクト(よしもと住みます芸人) の群馬県担当として2011年5月15日に東京から地元である群馬県に拠点を移し、群馬住みます芸人、SDGs芸人、カラオケチャンネルMC、みどり市観光大使、環境カウンセラーなどの経歴を生かし、年間100本の講演をこなすなど多方面で活躍中。二児の父親でもある。

遊べば天才になれる!SDGs時代を生きる子どもの豊かな感性を育む遊びの新しいカタチ『天才かるた』は、クラウドファンディングで目標金額2,000,000円見事達成。

群馬県出身、みどり市大間々で生まれ育ち、大学進学を機に県外へ。

--群馬で過ごしたのは、NSCに入るまで?
富所:群馬を出たのは桐生高校卒業後、大学進学がきっかけ。東京が見たかった、いつかお笑いやってみたい、っていうのもあって進学先は千葉にしたんです。誤算だったのは、千葉ってそんなに東京に近くなくて、都内まで電車で1時間かかる場所だった、ということ(笑)。でもありがたかったのは、同時期に千葉に進学した、今の相方(川島大輔 氏)と一緒にいれたおかげで、お互いのお笑いへの意識の高め合い・熟成時間が持てましたね。

ずっと短距離走をしているような感覚。想像以上のチャンスのなさと時間のなさに途方にくれて…

--22歳で大学卒業を機に「NSC(NSC吉本総合芸能学院)」へ入校、本格的にお笑いの世界へ。NSC卒業後の日々はいかがでしたか?
富所:東京行って、NSC入って、吉本芸人になりさえすれば、自分たちの実力ならいけるな、と思っていたけれど、いざやってみたら全然違って。分厚い選手層にはばまれて、思うようにはいかないんだなと痛感しました。
東京ではいわゆる「吉本芸人」として4年間活動したんですが、想像以上の競争数・想像以上のチャンスなさと時間のなさに途方にくれてしまって。
ネタ時間1分とかごく限られた時間で、とにかく「インパクト」ばかりを求められる。ずっと短距離走をしているような感覚が「俺たちには合わないな」って思う日々でした。
そんな中、とあるバトルライブでの結果が、32組中32位…最下位ですよ。それにズシンときちゃって…。
うまくいかない時って、相手のせいにしちゃうし、お互いを責め合う。なんだか仲も悪くなってきてて。

あれ、おかしいな、って思ったんです。目指してたお笑いって、こんなんだっけ?って。もっと楽しかったはずだし、もっと憧れていたはずだし。大学まで出させてもらって、週5でバイトして…何のためにやってるのかわからなくなってきちゃったんですよね。

「群馬住みます芸人」に見出した、自分たちの新天地。

--そんな時に持ち上がったのが、2011年発足した「全国住みます芸人」。
富所:自分たちには一筋の光のように感じましたね。
これまでにないくらい、吉本全社をあげてやる、一大プロジェクト。約6,000組の吉本芸人の中では厳しくても、47分の一ならなんとかなるかも!って思いました。
はじめて自分たちの意志で、「僕ら群馬出身なんで、群馬住みます芸人、やらせてください」って吉本に掛け合いました。環境を変えたかった僕たちが、自分たちの新天地を、「群馬住みます芸人」に見出したんです。

--その「群馬住みます芸人」を実際にやってみて、いかがでしたか。
富所:難しかったのは、「【群馬在住】のローカル芸人」としてのロールモデルのなさ。いつまでたっても「群馬住みます芸人」のコンセプトが理解してもらえなかったんですね。僕らなりの理想はあったけれど、それがなかなか伝わらないのがもどかしかったです。
でも、東京でもらえなかった時間とチャンスがここにはある。
名前だけでも、顔だけでも覚えてもらうために、いただける仕事は何でもやったし、人が集まると聞けば率先して行ってました。群馬県内35全市町村アポなし挨拶まわりもやりましたね。

「住みます芸人のお笑い」は、人と人の間にある「接着剤」

--そうした売り込み期を経て今年で着任後12年。近年「住みます芸人」として目指すものの輪郭がさらに濃くなってきましたね。
富所:この住みます芸人のお笑いって、ステージ上から提供するお笑いだけじゃなくて、人と人の間にある「接着剤」としてのお笑いだと思っているんです。ここ数年はその点を重視した活動に力をいれていますね。
その一つが「コミュニケーションスキルとしてのお笑い」を学ぶ「漫才ワークショップ」。最近あちこちの学校で開催しているのですが、発端は僕が一市民としてみどり市に提案して実現した、みどり市の市制施行10周年記念企画なんです。

--子ども達×漫才、楽しい化学反応が起こりそうですね。
富所:人を笑わせる、楽しませるならどうするか。能動的になる必要があるし、サービス精神も必要だし、コンビでお互いにディスカッションしなくちゃいけない。
話す、考える、分析する、伝える。実は漫才って色々な要素が入っているんです。
子ども達が自分自身を見つめ直したり、友だち同士で観察し合ったり、大きい声を出すにはどうしたらいいか研究したり。どの学校でも、どんな個性・特性のある子どもでも、必ず発見があります。
…と、この時点で、こんなことできるのは、住みます芸人だけなんですよ。
M-1グランプリ出てないとか、テレビ出てないとか、そういうのは僕の中ではもう関係ない。
もう自分軸で生きれてるので、めちゃくちゃ楽しいんですよね。

故郷に伝わる「三方よしの井戸」に、現代に通じる『近江商人』の経営哲学をみる

--群馬県内のおすすめスポットとして挙げていただいた大間々町の「三方よしの井戸」について教えて下さい。
富所:僕の生まれ育った町・大間々町は、300年ほど前、近江商人(近江国(現 滋賀県)から他国へ行商して歩いた商人)が移り住んで作った町なんです。
近江商人って「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よしの精神」を経営哲学にもつ人々なんですね。
そんな近江商人をルーツにもつお店の中で、醤油醸造業を興した「岡直三郎商店」さんは、明治時代に起きた大火で町の半分くらいが焼けかけた時、売り物の醤油を使ってでも火を消したそうで。そののちには、町のみんなが自由に使える井戸を、店の敷地の外に作ったそうです。「商売において売り手と買い手が満足するのは当然、世間=社会に貢献できてこそよい商売といえる」という考え方である「三方よし」をしっかり体現していた。
これって、今に通じる話で、まさにSDGsなんですよね。
「三方よし」の精神にも、そして僕の生まれ故郷・大間々でそんな事が起きたといういきさつにも感銘を受けたので、この「三方よしの井戸」、ぜひみなさんにも一度訪れてほしいスポットです。
…というのが熱い方の話ですけど、ちゃんとした観光スポットとかなら浅間の「鬼押出し園」とかオススメです。て、あれ、薄い?(笑)

--いや、そんな興味深いスポットがみどり市にあるとは!初めて知りました。今度、行ってみます!
さて、最後に、今後の展望などありましたら教えて下さい。

富所:自分を育んでくれた群馬でチャンスをいただけたように、今の子ども達にも色々な機会や選択肢を作りたい。群馬でまだ見ぬお笑いの可能性を模索して、「生き様」で芸人をやっていきますよ!

当サイトの内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。また、まとめサイト等への引用を厳禁いたします。

コメント

この記事へのコメントはありません。

RELATED

関連記事

PAGE TOP