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木暮あかりさん×gCarat スペシャルコラボ!!

2023年3月まで「FM GUNMA」のアナウンサーとして活動し、今春からフリーアナウンサーに転向した木暮あかりさん。ラジオから聞こえてくる清らかな声に日々癒され、魅了されたという群馬県民も多いのでは。そこで今回は、新たなスタートを切った木暮さんに幼少時代のお話から今後の展開まで、gCaratスタッフがあれこれ聞いてきました!

木暮あかり
1993年9月13日、埼玉県行田市生まれ、群馬県前橋市赤城山育ち。富士見村立(現前橋市立)白川小学校、共愛学園中学校・高等学校を経て、国際基督教大学に進学。2016年に「株式会社エフエム群馬」へ入社し、2023年春に退社。趣味は映画・ドラマ・美術鑑賞のほかラジオを聴くことや読書など。英検準1級、美術検定4級の資格を持つ。

■埼玉から前橋へ。自然豊かな赤城山頂で暮らした幼少期

―――赤城山育ちとのことですが生まれは埼玉県なんですね。
木暮さん:両親ともに前橋市出身ですが、私が生まれる頃は父の仕事の関係で行田市にいたんです。父がキリスト教の牧師をやっていて、教会関係者が利用するキャンプ場の管理人をすることになり、小学校へ上がるタイミングで前橋へ引っ越しました。
 自宅は覚満淵の近くにあって、小学校へもバスで45分かかるようなところ……。ご近所さんは少なかったですが、湖畔にあるお土産屋さんちの子と遊んだり、ワカサギを素手でつかまえたりしていました(笑)

―――自然豊かな環境で幼少期を過ごされたわけですね。
木暮さん:とはいえ、根本の性格はインドア派。週末や長期休みは両親ともに忙しいので、ドラマの再放送を1日中見て過ごしていました。人見知りでもあるから、親戚の集まりがあっても頑なに顔を上げず黙っている、みたいな。
 でも、子供のころからおしゃべりが好きで、カセットテープに自分の声を吹き込んでは遊んでいたんです。祖母がくれたキティちゃんのラジカセに向かって本を読んだり、架空の誰かに英語を教えたりして。今でもテープが残っていてFM GUNMAのCM素材に使われたこともあるんですよ。自信満々でやけにハキハキとしゃべっていて、我ながら可愛いなと感じました(笑)

―――アナウンサーの片鱗を窺わせるエピソードですね。ちなみに木暮さんオススメの赤城山スポットは?
木暮さん:やっぱり覚満淵ですね。家族や愛犬と毎日散歩していました。朝は霧がかかって幻想的ですし、雪が降ると真っ白になって別世界になるんです。鳥居峠から見える雲海も絶景。覚満淵近くにある「HUTTE HAYASHI CAFE」さんも素敵ですよ!

■目立ちたがり屋に転向!?放送コンテストやまち映画に挑戦した青春時代

―――中学・高校は共愛学園に進学されたんですよね。
木暮さん:国際色豊かな環境で育ったので英語を勉強するのが好きで、もっと学びたいと思ったんです。中学では目立ちたがり屋の延長から生徒会に入り、学校行事にも力を入れていました。

―――目立ちたがり屋……人見知りではなかったですか?
木暮さん:私、小学生の頃に突然目立ちたがり屋に転向したんです(笑)。5年生の時、アメリカ旅行へ行ったのですが現地の同年代の子たちがすごく積極的で……言葉が通じない分、こっちも積極的にいくしかないなって。たった1週間でしたが両親から「すごく変わった」と言われ、自分でもその自覚がありました。

―――その積極性で高校では放送委員会や前橋のまち映画に挑戦されたんですね。アナウンサーの夢はこの頃から?
木暮さん:放送委員会へは先生に「声がいいから」と勧められたのがきっかけでした。NHK杯全国高校放送コンテストや全国高等学校総合文化祭にも出たくてアナウンスや朗読の練習を始めて。県大会で何回か優勝してFM GUNMAの番組にも出させてもらったんですよ。出演したことでアナウンサーへの憧れが強まりましたね。
 まち映画はノリでオーディションに参加し、『虹の街』という作品にヒロイン役で出演しました。アテ書きで放送委員会に所属する高校生役にしてもらったのですが、街の人たちにインタビューする機会があり、話を聴く楽しさに触れました。
 それと、中学・高校時代は学校まで車送迎してもらっていて、いつもFM GUNMAを聴いていたんです。「SCHOOL OF LOCK!」という番組にもよく投稿したり、出会ったことないタイプの人たちの話が面白くて、ラジオの魅力にのめりこんでいきました。

■そしてFM GUNMAへ。入局4日でワイド番組に出演、番組の制作も。

―――国際基督教大学では心理学を学ばれたそうですね。卒業後、FMGUNMAに就職されたのは何故ですか?
木暮さん:子供に関わる仕事に就きたくて臨床心理士に興味があり、心理学を専攻しました。就活では色んな企業を受けましたし、大学院への進学も考えていました。テレビ局のアナウンススクールにも通ったことがあり、アナウンサーという職業はあまりに華やかな世界で自分には向いていないと思った時期もあったんですが、FM GUNMAの採用情報をたまたま見て「毎年募集が出るわけじゃないし、これは受けよう!」と。
 内定をもらった時は「アナウンサーになるんだ!」ってワクワクでした。私は一人っ子で、いとこもいないから親戚中の注目を集める存在で。身近なラジオ局のアナウンサーなるってことで両親も親戚も大喜びしてくれました。

―――しかも入局4日目で情報バラエティ番組に出演。大抜擢でしたね
木暮さん:番組改編期というタイミングもあったのですが、選んでもらえたことは素直に嬉しかった。私自身も不安より「イエーイ!」って感じで。何も分からないからこそ怖くなかったのでしょうね。番組を担当していた岡部哲彦アナウンサーは初放送の前日、心配で眠れなかったそうです……私はぐっすりだったんですけどね(笑)

―――その後さまざまな番組を担当しますが、2019年から担当した情報トーク番組「POTLUCK」は木暮さんの代表番組になりました。
木暮さん:ディレクター兼務で番組タイトルからコーナー内容、BGM、CMの位置まで自分で作りました。POTLUCKは“持ち寄りパーティー”という意味で、色んな人が情報を持ち寄ってワイワイ楽しめる番組にしたいなって。頭の中で思い描いた番組を作れたことは楽しかったですし、それをたくさんの方に聴いていただけたことに感動しました。

■春からフリーアナウンサーに転向、気になる今後の展開は。

―――アナウンサーという仕事の魅力や難しい部分はどんなところですか。
木暮さん:関わったことないジャンルや年代の方など、本来なら緊張してしまうような人でもラジオという空間だと心を通わせることができる。それと、この仕事のお陰で映画に本に音楽にと、さまざまなエンタメに関わることができて幸せです。
 一方で、スポーツなど今まで触れてこなかったジャンルの方をインタビューする時が大変です。でも、その方について調べたりする内に興味が沸き「早く会いたい!」となってくるから、やっぱり人が好きで、話を聞くことが好きなんだと思います。

―――アナウンサーという仕事をする上で大切にしていることは何ですか。
木暮さん:何でもたくさんの経験をすることです。ほかの誰かより知識が豊富という分野がない分、発言する時に怖気づくこともありますが、自分が体験した感想なら間違いないし自信を持って話せる。「何でも1回はやってみる」がモットーです!

―――今春からフリーランスに転向されましたが、どんな理由からですか。また、今後の展開は?
木暮さん:自分の声の表現を研究し、より幅広くチャレンジしたいと思ったんです。そのためにも働き方を変えてみたいと思うようになりました。ラジオもFM GUNMAも大好きなので寂しい気持ちはもちろん大きかったですが、濃厚な7年間を過ごさせてもらったので「このあたりで一度!」という気持ちで決めました。
 今は色んな読み方ができるようナレーションのレッスンを受けています。また、ドラマやアニメ、映画などの音声ガイドを作るディスクライバーという仕事についても勉強中です。日本語の表現力や作品を解釈する力が問われる難しい仕事ですが、久しぶりに朝まで課題をやったりして楽しいです。
 今後については未知数ですが、自分の声と言葉を使って表現することやエンタメが好きなことは変わらなそうなので、それを中心に……せっかくのフリーランスなので、色んなことにチャレンジしていきます!

―――最後に読者へメッセージをお願いします。
木暮さん:FM GUNMAでの最後の放送時、たくさんのリスナーさんから一生分の寄せ書きやプレゼントをいただき、こんなにも愛してくださっていたのかと感じました。フリー転向後も出演イベントに足を運んでくださる方がいて本当にありがたいです。応援してくださる皆さんに喜んでもらえるように、そしてこれからもたくさんの方にお会いできるよう頑張ります!!

ヘアメイク プレジール(前橋市)
ロケ地 大聖護国寺

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