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名店Story「鰻 炭火焼肉 宮川」part.2 鰻に加えて焼肉の提供もスタート。二刀流の店として歩み始めた「宮川」

おいしい鰻と焼肉が味わえる店として名を馳せる渋川市の「鰻 炭火焼肉 宮川」。もともとは鰻屋として1978年に創業したという。そんな同店はその後、どのようにして二刀流の道を歩んでいったのか。焼肉の提供が始まった頃の話や、素材へのこだわりなどを伺いました。

和典さんは、いつ頃からお店を継ごうと思われたのですか?

和典さん:高校を卒業後、上京して短大で経営学を学んでいたんですが、その頃はお店を継ごうという気持ちはありませんでした。でも、飲食系の道に進みたいという思いはあったので、短大卒業後は東京の調理師学校に通いました。

永子さん:調理師学校はすごく厳しかったらしいの。今は男の子も女の子もオシャレする時代でしょう?だから、やたらな格好させられないって、金のネックレスを買って渡したの。そしたら、それが原因で怒られちゃって……ほんとにバカな親です。「母ちゃん、これありがとう」って返しに来ましたよ。
 でもね、いつだったか東京から帰ってきた時、私たちの年取った姿を久々に見たからでしょうか。「俺、この店継ぐよ」って言ってくれたんです。もう、お父さんが大喜びしちゃって、「どこか修行させてくれるところないですか」って色んな店に聞いて回ったの。

宮川和典さん

和典さん:実はその頃の記憶がほとんどないんですが、そういうことだったと思います(笑)。もともと焼肉が好きだったので、飲食店やるなら焼肉が良かった。最初は、親父が口を利いてくれた高崎の焼肉店に就職して、それから3軒くらいのお店で修行させてもらいました。

ほかのお店で修行後、宮川さんへ戻られたわけですね?

永子さん:最初は高崎の方に店を出すつもりだったんですよ。気に入った土地があったんだけど、調べてもらったら下水道がなかった。ちょうどその頃、年配のお客様から「鰻と一緒に焼肉も出してくれたら、子供や孫たちと来れるのにな」って言われてね。

和典さん:自分も最初はここで鰻を提供する手伝いをしていたんですけど、お客様から「ここで焼肉もやっちゃえばいいじゃん」って言われて。

永子さん:いい物件が出てくるのを待っていても仕方ないから、ここで始めたのよね。

和典さん:半年くらい店を閉めて改装工事をしました。今は客室になっているところは元々カウンターがあったり、調理場は駐車場だったんです。駐車場まで店の面積を広げて、そのまま3階も作りました。

永子さん:5,000万も借りたんですよ。しかも10年返済だから、毎月50万ずつ返していったの!

和典さん:大変だったよね。

智男さん:でも返し終わったら、うちの信用度が一気に上がった(笑)。銀行も「返済のことなら宮川さんに相談してみるといいですよ」なんて言って。でも、簡単に真似できることじゃないよ。

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