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お店はその後も順調だったのですか?

和典さん:いえ、2年くらい経った頃に狂牛病が起きて大打撃を受けました。ニュースで報道されてから一瞬で客足が引いていきましたね。それでも、最初はとにかくお肉を売ろうと躍起になった。「うちの肉は安心だし、おいしいからいかがですか」って。全く相手にされませんでしたけど。そこでようやく気付いたんです、今は肉を売るべきじゃないってことに。でも、うちにはもう一つある。そこから鰻や和に力を入れました。肉の仕入れを減らして、法事の数を増やしていったんです。そんな状態が2年くらい続いたかな……その間に、世話になった焼肉店や渋川にあった店など、閉店しちゃったところは多かったですね。

永子さん:いい時ってのは絶対に長く続かないんです。だからね、商売にしても何にしても傲慢になっちゃダメ。いつでも控え目、控え目が大事。昨日はこれくらい来たから、今日もこれくらい来るだろうなんて上っ調子じゃ絶対ダメ。昨日は昨日、今日は今日なんですね。
あとは、やっぱり人対人の商売ということ。自分たちだけじゃ何の知識もないですから、お客様に助けられて何とか乗り越えられました。

状況は少しずつ落ち着いていったのですか?

和典さん:おかげさまで、焼肉の方はお客さんが戻ってきてくれました。でも、今度は鰻の大高騰が始まった。焼肉の提供を始めた頃は、うな重が1,800円くらいだったんです。それが2,700円になって、今は4,000円。「あれ、先週納めた時と金額が違いすぎるんですけど、納める数間違えましたかね?」って業者さんの方が驚くほどに値上がった。うちは家族でやっているからってギリギリまで我慢したんですけど、原価切るところじゃない、このままじゃ店が終わっちゃうって話になって。メニューの価格を改訂させてもらいました。
 「こんな高いもの、俺だって食えないよ」って心では思ってたけど、親父には言えなかった。「本当に辞めちゃうんじゃないかな」って思ってたから。でも、お客様がついてきてくれたんですよ、ありがたかったですね。

なぜ、ついてきてくれたと思いますか?

和典さん:やっぱり確かな品質にこだわってきたからだと思います。その思いがお客様に届いていたんじゃないかな。
 そんなこんなで狂牛病も鰻の高騰も何とか凌いだ。でも、それ以上にきつかったのがコロナでした。「そもそも営業しちゃいけないって言われるんですもん、辛かったですね」。

真由美さん:でも、家族もいるし生きていかなきゃならないから必死でした。

和典さん:そんな時、渋川市が飲食店で使える金券チケットを配ったり、色々援助してくれたんです。これもありがたかったですね。その時に「クチコミ見て、前から気になってた」とか「せっかくだからチケットで来てみました」っていう新規のお客さんが増えたんです。
コロナ以前からテイクアウトに対応していたのも大きかったですね。テイクアウトって意外と場所を取るから、いきなり始めようと思ってもオペレーションがうまくいかない。元々取り組んでいた部分が活かされました。

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